夏合宿

ほっとメッセージ『夏合宿』株式会社プロ・アクティブ 代表 山口哲史(ニックネーム/ガッツ)
 

こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?

いよいよ夏本番。暑い夏が始まりますね。
夏といえば、学生時代、中学はサッカー、高校は野球、大学はアメリカンフットボールに明け暮れた私は、どらかと言うと、辛く、しんどい思い出がよぎります。

高校時代は丸坊主の高校球児で、小柄ながらもアンダースローのピッチャーだった私は、夏の炎天下の中、毎日近くの河川敷を5〜6km走り込んで、100球以上の投げ込みをしていたので、足も腕も毎日パンパンの状態でした。そんな辛い練習の中でも、投げたボールが面白いようにイメージ通りにキャッチャーミットに収まり、“パシン”という気持ちのいい音が鳴り響くと、その疲れもどこかへ吹き飛び、“夢中、無心な爽快感”がありました。

その感覚を、毎日実感、体得し、試合ですぐに出せるように辛い練習をしていたのだと、今なら思い返せますが、当時は早くこの辛い練習が終わらないか・・・ということばかり考えて、己に克つ“克己心”や、自らを律する“自律心”もやはりとても未熟だったと思います。

高3の夏は、甲子園出場をかけた県大会の予選で、地元兵庫ということもあり、ラッキーなことに3回戦で甲子園球場を使わせてもらえ、そのマウンドに立てたことは生涯の思い出になりました。

本当に、暑い夏の甲子園でしたが、その日は暑さも忘れ、夢中無心になって、声をからして、野球が出来ていたので、清々しい気持ちで高校の野球生活を終えることができました。

ところが・・・。野球を通じて身体感覚と根性とスポーツ脳を知らず知らずに鍛えてきたものの、その後は受験勉強という今まで全く使ってこなかった“脳力”を鍛え上げないと、受験戦争から落伍してしまう・・・。ずっと野球中心で見て見ぬふりをしていた現実が始まったのも、やはり真夏の暑い時期でした。

焦り、不安、迷い、苛立ち、自信の無さなど、先を考えると暑さの汗に混じって、冷や汗がジトッとしみてくるような放心状態の日が何日か続きました。
そんな、悶々としてどうしていいのか分からなくなっていた私を、フッと正気に戻らせてくれたのが、両親の一言でした。

「野球も頑張れたんやから、哲史なりにやるだけやったらいいやん」。普段あまり細々としたことを言わない両親が、見るに見かねて言ってくれた言葉でしたが、その言葉で私の頭に黒く渦巻いていた霧がス〜ッと晴れていきました。

頭で考えすぎて、身体全体が固まり、焦りと不安で、本来躍動的な魂に厚い雲がかかり、身心ともにがんじがらめになっていたのがウソのように、その日を境に事態が好転していきました。

アメリカンフットボール本当の意味での開き直りでした。

野球で毎日走り込むかのように、英単語や歴史の年号を何百何千とカードに書き込んで、来る日も来る日も読み、書き、覚えていきました。

そして、狙ったところに投げ込めるように、毎日毎日、受験対策のテキストや練習問題を解き、投げ込みで身体感覚、身体知を養ったように、頭の中の記憶感覚や傾向知を養っていきました。
塾にも行かず、独学・独力でスケジュールを立て、朝昼晩の3部練をするかのような、それは“一人受験夏合宿”でした。

部活で受験勉強に出遅れ、塾にも行けないハンディキャップで、人一倍ピッチを上げ、集中しないと負けてしまう・・・。この差を埋めるのは、やはり闘争心と集中力と根性しかありません。

野球の千本ノックで、フラフラになりながらも、「もう一丁、もう一丁」と無心にボールに跳びつき続けた執念や負けじ魂などが、そのハンディキャップの壁を乗り越えさせてくれることになりました。


結果的に、この高3の暑い夏の“一人受験夏合宿”が、私の後の受験合格の足腰を鍛える大きな要となり、甲斐あって現役で「関西学院大学」に入学でき、両親もビックリする程の大喜びの成果を手にすることができました。

そしてこの貴重な体験は、大学に入って始めたアメリカンフットボールにおいてさらに深まり、より進化していきました。

合計10キロ以上の防具を着けてぶつかり合い、倒し合い、ボールを敵陣のゴールゾーンにまで持って走るこの過酷な競技は、ある意味、正に命がけのスポーツです。
脳しんとうや骨折、捻挫、打撲は日常茶飯事。
そんなスポーツの夏合宿は、まさに地獄でした。

夏の炎天下でフラフラになりながら、小柄な私が大男に真正面からぶつかり合うことを何十分も繰り返すなど、野球時代の練習がどれだけ楽だったか・・・。
夏合宿中に脱走したいと思ったことは何度もありました。

ただ、この時に、野球をしていた頃に培った、まさに“根性(ガッツ)”が生きました。
大男に負けてたまるか・・・。無心になって恐れを無くし、相手の懐に飛び込んで、夢中で足をかいていると、いつの間には大男が倒れていることが何回もありました。


その瞬間を見て、先輩たちは、「おまえ、ホンマにガッツあるなぁ。これからガッツって呼ばなあかんな〜」。その瞬間から、今なお皆に呼ばれているニックネーム“ガッツ”が、私の別名になりました。

有難くも、もったいなく、気恥ずかしいニックネームですが、その日から今日まで「ガッツにふさわしい生き方を本当にしているのか?」と自分に問いてきたことが、今の私をつくっている土台になっているのかもしれません。

ケガで大切な試合に出れないこともよくありましたが、その時々に腐らず、暗くならず、諦めずなど、自分を鼓舞しながら、「いつか、必ず、きっと・・・」と耐えて、待つことも、この“ガッツ”の呼び名から教えてもらった様に思えます。

私の場合は運良く、その親しみやすいニックネームから、人生をより良く生き抜くエネルギーをいただいているように思えますが、その根底にあるのは、やはりスポーツで培われた自律心や克己心、自己犠牲心や向上心、忍耐力、集中力、協調性、リーダーシップにスポーツマンシップなど、様々な要素が構成成分になって、私の根となり幹となっているのだと思います。

これからも日々続いて行く私の“人生の夏合宿”は、さらに厳しいことも多々あると思いますが、その途中で培われる様々な事象を栄養にして、その時々に応じて、素敵な花、実を咲かせていけたらいいなと思っています。
人それぞれ、何かに夢中になったことで、同じような様々な成長物語、歴史があるのだと思います。その一幕一幕が、きっと尊く、美しいのだと思います。

そういった各々の人生ドラマの中にある “夏合宿”に、たまには冷えたビールで乾杯し、この夏を乗り越えていきましょう。

乾杯!

 
     
 

 
     




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ガッツプロフィール
山口哲史(ガッツ) 本名:山口哲史 ニックネーム:ガッツ
兵庫県伊丹市出身。関西学院大学商学部卒

リクルートをはじめとする7年間の大企業経験の後、
1991年(株)ファイルド・アクティブ(現プロ・アクティブ)を起業。

起業後16年は、主に、健康・美容・スポーツ分野でユニークな商品開発と根強いファンに支持され続けているファイテン社(チタンテープ、ラクワネックなどの製造、販売元)の中心的販社のリーダーとして、そのブランド認知、拡販に貢献。

その後、平成16年より、抜本的な事業や商品の転換により、現在の『自然とつながり 自然に生きる』というコンセプトの元、自然の温もりや生命が感じられる有機的な商品群を、独創的かつ良心的な開発者などとの出会いの中で、啓蒙、拡販に努め、現在に至る。

社内・社外を問わず、「ガッツ」のニックネームで親しまれ、そのユニークな人柄と独特の感性が、たくさんの魅力的な人や商品・情報を 引きつけ、それを紹介したり、教えたり、つないだりするのが最大の魅力?肩肘張らない性格と中途半端な大阪弁で、妻と娘と2匹のチワワをこよなく愛す、魚座・B型の快男児。