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一枚のチケット

一枚のチケット
 

こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?

11月は勤労感謝の日など、いろいろな祝日がありますね。
そういえば少し前の話になりますが、母親から涙まじりの声で携帯に電話がありました。
「哲史ありがとう。今映画を見終えてちょっと元気になったわぁ。いろいろなことを想い出していっぱい泣いたわぁ。もうちょっと頑張って生きなアカンわ。それにしても、高倉健さんの寡黙な感じは、亡くなったお父さんそっくりやわ。なんか嬉しいわぁ〜」。
こんな他愛もない会話でしたが、私の胸の中にジ〜ンと熱いものがこみ上げていました。
「よかったぁ。映画の券(高倉健主演「あなたへ」)と手紙を贈っておいて・・・」。
実は、今年の5月に父親を亡くしてから、母親は、特に初盆を迎えるまでは、心身共に衰弱し、元気を失い、みるみるうちに小さく、まさしく「おばあさん」のようになっていきました。
夫婦って伴侶を失うと、これほどまでに心の奥底に深い悲しみと大きな喪失感を抱き、弱っていくんだということを、身に沁みて感じました。
弟とも、「生前は、あれだけお父さんのことをよくボヤいていたのに、夫婦ってほんまに分からへんなぁ〜。やっぱりいろいろあっても、お父さんのことが大好きやったんやなぁ〜」としみじみ語り合ったものでした。
まさかそんな事はない・・・と思いながらも、兄弟で心配したのは、後を追うかのように逝ってしまうのではないか・・・それくらい少し投げやりな感じで、生きる希望を失っている感じがひしひしと伝わってきました。

「早く元気になってくれるいい方法はないんやろかぁ〜」
弟や嫁さんともよくそんな話をしていました。できるだけ意識をして、遠いながらも東京から伊丹(兵庫)へ、母親の様子を見に帰っていましたが、父親の死による役所への届け出や、銀行や保険などの書類や様々な面倒な手続きも一人でやる事が多く、それらの慣れない仕事がより一層、精神的にも肉体的にも、母親のしんどさに追い打ちをかけていました。
そんな事もあり、「私が亡くなったら、通帳や保険などの証書は◯◯のあそこにある。
△△は、タンスの××にある」など、今から死に支度でもするかの様な雰囲気で、とても困惑しました。

もちろん大切な事で、無常の風はいつ吹くかもしれないから、早めにいろいろな準備はしておいた方がいいのは分かっていたものの、いざそんな姿を見ると、「縁起でもない、そんな事はもうちょっと後でもいいから、早く元気になってちょうだいよぉ」と心のどこかで叫んでいる自分がいました。




そんな母親がようやく少しずつ元気になり始めたのは、初盆を済ましてからでした。
ふさぎ込んで家から出られなくなっていた母親を、伊丹の街中でおいしいお店に誘って、久しぶりに母と子二人でいろいろな話をしました。

母親が6才の時に、実の母親を失い、年が20才近く離れた長男夫婦に育てられた事。
その義姉が母親代わりになって、しつけや細かなことにうるさく厳しく育ててくれたので、、やはり同じように口うるさい性格になっていったこと。
片道5キロ近い学校へ、田舎道を毎日わらじで通っていたこと。
高校を卒業して農協へ勤め、初めてついた仕事が経理の仕事で、その通帳合わせの仕事が自分の性格に合っていて、とても楽しかったこと。
収入のほとんどを実家に預けていても何も苦にならなかったこと。
お見合いで父親との縁談がまとまった後、父親が大阪のゴム製造会社に勤めることになり、面白く充実していた経理の仕事を諦めないといけなくなって、とても悔しかったこと。
大阪には縁もゆかりもなく、都会の社会経験もないまま新婚生活をスタートし、それこそ手探りと見よう見まねで、痛い目、しんどい目、イヤな目にも合いながら、時として助けてくれる周りの方々に支えられ、貧しいながらも二人で励まし合って私達兄弟を育ててくれたこと・・・など。
今まで封じ込め、語られることのなかった様々なことが、堰を切ったように母親の口から出てきました。

母親自身の過去の歴史や物語、夫婦の出会いや新婚時代のこと、私達が産まれて間もない頃の苦労話を、これほどまでにじっくりと聞いたこともなかったので、ただただ頷き、感嘆することばかりでした。
きかん坊でわがまま三昧な私ゆえ、母親の小さいことに口うるさい性格や心配性の性分が嫌になることも時々ありました。しかし、母親の懸命に生きてきた人生を聞くにつけ、「それは仕方がないし、お母さんも必死やったんやから、文句を言ったらバチがあたるわぁ」と、今まで何も知らずに文句を言ったり、反抗してきた自分が恥ずかしくなりました。

逆に言えば、そういった口うるさい母親だから、私も人様にあまり大きな迷惑をかけたり、取り返しのつかないような事故や事件を起こさずにここまで生きてこられ、こうやって商売をさせていただいているのだと、今までは気づかなかったことが気づけるようになってきました。
感謝こそすれ、母親を悲しい目にあわす言葉や態度はやはり慎まないといけないと、最近つくづく思うようになりました。
ちょっと「悟る」のが遅かったのかもしれませんが、まだ母はなんとか元気にしていますし、もう少し母との思い出づくりもしないと、父にも申し訳ないとここのところよく思います。




私が高倉健さんの映画が好きでよく観るのも、無意識に、健さんの中に寡黙な男としての温かさと気概を持っていた父親の姿をダブらせていたということにも最近気づくようになりました。
「だからきっと健さんの映画を観たら、お母さんも元気になるんじゃないかなぁ・・・」。
一足先に「あなたへ」という映画を観て私が思ったことでしたが、一枚の映画のチケットが、母のもう一度生き直そうという気持ちに灯をつけてくれました。

それから、少しずつ友達と体操教室に再び通い出したりしながら、また元の元気な母に戻っていっています。
少し「日にち薬」の効き目が効くのに時間がかかったかもしれませんが、やはり傷んだ魂を癒すには、時間や思い出、人の絆や情、そしてかすかな希望や夢が必要なんだと思えました。

そんな母親の誕生日が11月3日の祝日です。
「お母さん、私を産み育ててくれて、ホンマにありがとう。お母さんが産まれてきてくれたおかげで私達は幸せです。ホンマにめでたい日。いつまでも元気でいてや。お父さんも天からきっとそう言ってるでぇ」。

 
     
   
     

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