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乾杯!

スイッチ
 

タイトル1
ガッツのほっとめ
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?

■食欲の秋。疲れた身心を癒す最高の処方箋は、おいしい料理に旨い酒?
ビール党の私には、あったか〜いお鍋にキーンと冷えた「生」の一杯は、まさに至福の瞬間です。


この一杯のために、大変な仕事や日常も乗り越えられる?「魂のごちそう」と言ってもいいかもしれません。
私に限らず、居酒屋やレストランなどで「とりあえず生ちょうだい」と合言葉のようにビールをオーダーする方も多いと思います。


そんな、今は当たり前のように飲んでいる「生ビール」を、
自宅や飲食店で「手軽に飲める文化」を日本に創った魅力いっぱいの方を、
先日、雑誌でインタビューさせていただきました。


その方の名は、「中條高徳(なかじょうたかのり)」さん。いや「先生」といった方がいいと思いますが、現在はアサヒビールの名誉顧問をされていらっしゃいます。
御年84才になられますが、肌ツヤよくシワもなく、とてもエネルギッシュで、
お話を聞かせていただいているうちに、こちらが逆に明るくなっていくのが分かります。
器の大きさや人間的魅力はもちろんのこと、その生き様は潔くとても感動的で、
これまでのたくさんの出会いの中でも、特に印象深いインタビューとなりました。


中條先生には、優しさ、温かさ、細やかさ、楽しさ、厳しさなどのたくさんのエネルギーを、その時々に感じさせてくれる「オーラ」のようなものがいっぱいあります。
昔から「艱難汝を玉にす(かんなんなんじをたまにす)」という言葉がある通り、
味わえないような困難や苦労を乗り越えてこられた方は、やはり常人とはどこか違ったものがあられます。
先生は、今までの人生で三回は死に近いことを経験されてこられ、
その時々で、「一度死んだ人生だから」と、そのもらった命を一瞬一瞬、
完全燃焼されて生きてこられました。腹を据えて人生を生き切れるほど、
強いものはありません。

しかしそんな先生でも、その三回の死の淵から這い上がる事は、やはり尋常ではありませんでした。

 
     
  タイトル2

■一回目の死の淵は、19才の若さで陸軍士官学校に入校され、本土決戦を備えていざ出陣の前に、終戦を迎えられた時でした。


命に代えて国を守ろうとする若人には、
その無念さは尋常ではなく、大きな目標を見失うことにより、自殺者や気が狂う者もまわりにいっぱいいたという事でした。
また、心に大きな穴が空いた状態の中、
今までの祖国を守る英雄が、まるで戦犯者のような扱いを受け、生きるも地獄、死ぬも地獄の様な状況になり、自殺を本気で考えた事もあったとか・・・。

ガッツのほっとめそんな中、まるで生きる屍の様になっていた先生を救ってくれたのが、
書物(中でも四書五経の古典など)であり、人でした。
書物の中だけでなく、実際その憧れの人生の大恩人ともいえる師に巡り会えたことで、
先生の人生は再び蘇生されていきました。


二回目の死の淵は、まさにそのご縁によって
就職されたアサヒビールでの出来事でした。


先生が入社する以前から、アサヒビールは財閥解体の憂き目に合い、
元々は一緒であったサッポロビールとに二分され、解体前に一社で70%以上あったシェアも、35%前後ずつにまで分けられていました。

さらに分割による最悪の相殺効果で、人心は乱れ、空気は重苦しく、
お役所体質になっていき、アサヒビールはシェア9.6%にまで落ち込んでいきました。


一方、幸運にも分割を免れたキリンビールは、 加熱殺菌したビール「ラガービール」で売上をどんどん伸ばし、 まさにキリン帝国「ラガーであらねばビールにあらず」と言われるくらいにまでなっていきました。
この差は、天国と地獄の開きで、企業としては本当に瀕死寸前の状態でした。
そんな会社の状況や過去のいきさつを、先生はじっと見据え、
腹が煮えくり返る位の悔しさと究極のやるせなさ、
そして疲労困憊の精神的ストレスをずっと抱えておられました。


弱者が強者に勝つには、何かに一点集中して、そこに全勢力を傾け、全社一丸になってそれをやり遂げることしか道は無い・・・。
先生は、士官学校や古典(孫子)に学んだ先生ならではの戦略で大きな賭けに出ます。

同じ加熱処理をした瓶ビールの「ラガー市場」では全く勝ち目はないが、「ビールを生で飲む」という市場は夏しかない。
これをいつでも、自宅でも居酒屋でも誰でも簡単に鮮度100%のビールを飲めるようにしたらどうか?
しかもその味は数千人のお客様のモニターによって導きされた
「コクがあるのに、キレがある究極の生ビール」。そんな夢の様なビールを創って、世に問おうじゃないか!

先生は当時の社長に臆せず物を申し、持論の「ビールは生が一番」という言葉を
社長から女性スタッフにまで、何万回と「生・生・生・生」と言い続け、最後には、社長にも「アサヒが蘇り、キリンに勝つにはこれしかない」と言わしめ、その起死回生の責任者として、営業本部長に大抜擢されました。


80年代のアサヒビール「スーパードライ」の大ブーム、大ヒットは、ビール史に慄然と輝く奇跡の大偉業となり、
今や誰もが自宅で本当に美味しい冷えた「瓶の生ビール」が飲めるのは、
この先生の「ナマ」に人生、いや、命を懸けた燃えたぎる様な情熱と行動力、
そして機智にあふれた思考力などの賜物だと言っても過言ではないと思います。

まさに一人の傑出した人の登場で、世の中や社会、文化すらも変わっていくんですね。

タイトル3

■三回目の死の経験は昨年、40年一度も欠かしたことのない、
靖国神社への朝の散歩の時に襲いかかってきた「心筋梗塞」でした。

いよいよ最後かと、遺書まで書き残したこの大病も、
その道の名医や素晴らしい救急施設やスタッフの方々との出会い、
そしてご家族を始めたくさんの全国の中條先生ファンの方々の想いや祈りによって、
まさに奇蹟とも思える回復を遂げられ、
今では、それこそ大好きな生ビールをグイッと飲まれるくらいにまで、信じられないほど元気になられています。
まさに神仏や亡くなられた英霊の方々が、中條先生を生かされ、もうひと踏ん張り、
世の中を明るく元気にすることを託されているのだと思います。


この震災後の未曽有の国難の中、中條先生のまわりには、20代、30代の若い方々が集まり、先生の生き様や物の考え方、価値観などに真剣に触れて、
何かを自分達のものにしようとしていっています。これは本当に素晴らしい事ですね。
私達50代前後もやはり先生の様な尊い経験をされている方々のDNAを受け継ぎ、
自分達の行き方の励みと栄養にして、少しでも世の中を良くすることを実践し、また後世の方々へとそのバトンを渡していく・・・。
きっとそういった命の連鎖、生き様の連鎖が、
色々あっても本当に素晴らしいこの国「日本」を築いてきたのですね。


中條先生との出会いを通して、心の底からそう感じました。
やっぱりビールは生!
生ビール文化の始祖に大感謝&乾杯!!

 

 
     
       合掌