こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?
■光陰矢の如し?この5月、1ヶ月遅れで、私の娘は大学の入学式に、上下、シャキッとしたスーツをまとい、まるで社会人になったかのような格好で、颯爽と出掛けて行きました。
震災の影響で式が延び、ジリジリしていた彼女に、「お父さんも入学式に行こか?」というと、「来なくていいよ!」とあっさりと二つ返事で断られました。
親はいつまでも子供のつもりが、子はもう大人へと自立しようとしている・・・。
寂しいけれども頼もしく、嬉しい反応でした。
そういえば彼女が小5の3学期に、福井県の「かつやまこどもの村 小・中学校という、
体験学習を中心としたユニークな学校へと編入した時の事。
その登校初日の朝、彼女を送り出す勝山のホテルのラウンジで、
急に物凄い寂しさを覚え、モーニングを食べながら号泣した事を今でも思い出します。
それはまるで今生の別れのような感覚で、それまで彼女と過ごした様々な思い出が走馬灯の様に流れていった、まさに「浄化の涙」でした。
赤ん坊の頃、夜泣きをあやしにたびたび近くの公園のブランコにのって、
背中をトントンした事、アトピーがひどくて、一緒にアワ、ひえを食べた事、
断乳の時に、おっぱいに「へのへのもへ字」を書き、母子共々無言で、つらい断乳の瞬間を手伝った事、自転車の前の補助席に乗せ、冬の寒さの中、歌を一緒に口ずさみながら、息を曇らせ保育園へ連れて行った事、
仕事で遅くなり、汗をかきながら必死で学童保育の教室へ走り、今にも泣きそうな顔をしてじっと待っていた彼女の顔を見た瞬間に謝り、抱きしめた事など、本当に様々な思い出がいっぱい駆け巡っていきました。
親も必死なら、子も一生懸命その瞬間瞬間を生きていたのだと思いますが、決して人様からほめられるような子育てではなかったと思います。
ただ私の救いは、娘が父親べったりではないものの、
恥ずかしげもなく、「お父さん、大好き」と今でもたまにいってくれる事です。
親バカな話で、決して誌面でお伝えするような話ではありません
(未熟者としてお許しください)が、父親として、これ以上嬉しい言葉はありません。
そのうちに言ってくれなくなるのは分かっていますが、
せめてもの自己承認ができる瞬間でもあります。
ただそうはいっても、お腹を痛め、多大なる犠牲を払って無私に子供を育てる母親の苦労と想いに比べれば、父親の大変さは本当に知れたものです。
特攻隊の若人が、最期に「お母さん」といって、今生の別れを告げることを考えれば、
「海より深い母の恩」に勝るものはやっぱりありません。
しかし敢えていうならば、
人生のポイントや岐路に、陰ながら黙々と後ろ姿で、何かを大切な事を見せてくれたり教えてくれたりするのが、父親という存在なのかもしれません。 |