「必死のパッチ」。
こんにちは、お元気でいらっしゃいますか?
■春本番。待ちに待った4月ですね。
新入学、新入社、新年度など、新しいステージへスタートの月。
夢や目標を持って突き進みたいものですね。
私の娘も、今年は大学受験を控え、進路にあれこれ悩んでいます。
「頭であれこれ考えずに、心にしっくりくることやピンとくるものを大切にして、
それこそ決めたら、アホになってやった方がいいでぇ」
と訳の分からない?アドバイスをしたりしています。
親に似ず、とてもまじめに将来の自分の事を真剣に考えている娘を見ていて、
「しっかりしているなぁ〜」と親バカながら感心する事があります。
そういえば、ふり返ってみると、
私の人生は何となく目の前にあらわれてきたチャンスを、
それこそアホになってやってきたらここまでこれた、というのが正直なところです。
中学生の時に、「体育の先生になれたらいいなぁ」という淡い夢を描いていましたが、
今は考えてもいなかった会社の社長をやっているのですから、人生は全く分かりません。
その時々に、必死のパッチ(大阪弁で、一生懸命の意味)で、
人生のサイコロをあきらめずに振り続けてきたら、
ここまで辿り着いていたという感じです。
ただ、多少まじめなところがあったので、
早めにコツコツ受験勉強していたら、高嶺の花と諦めていた関西学院大に入れ、
気づいたときにはもう10キロもある防具をつけて
アメリカンフットボール部の練習に参加している自分がいました。
私達の頃は、まだ、たたき上げのOBや監督のいた頃で、
根性練習も多く、毎日フラフラになるまで練習していました。
夏の合宿なんかはもう地獄で、いつも逃げ出したいと思ってやっていましたが、
その頃から、どうせやるのなら人一倍声を出して目立ってやってやろうと思って、
必死のパッチでやっていたら、
「お前根性があるから、今日から呼び名を『ガッツ』にしよう」
といって、ありがたいニックネームをつけていただいた・・・。
その名残りが、今でも呼ばれる愛称の「ガッツ」になっているのですから、
世の中は皮肉なものです。
大学時代は、暇を見つけてアルバイトをしながら、
勉強も試験前には要領よくコツコツやっていたので、
卒業の時には、部でよく頑張った人に贈られる、最も栄誉のある賞もいただき、
とても嬉しかったことが、4年間の誇りとなりました。
ただ、関学の歴史上、32年間関西ではナンバーワンの座を守り続けていたものを、
私達の代で、初めて京大に譲り、
4年の時には、甲子園ボウル(大学日本一決定戦)にも出られなかった
恥ずかしい学年でもありましたから、卒業する時はとても悔しく、
その時に、心のどこかで絶対にリベンジ(巻き返し)してやろうと思っていました。
人生の甲子園ボウルには絶対に勝ってやる!
その負けた悔しさが、自分の人生のバネに、今でも少しはなってくれています。
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